眼球付属器
眼球付属器とは、目に関する組織のうち、「眼球と視神経以外」をいいます。
具体的には、「まぶた、 まゆ毛、まつ毛、 結膜、外眼筋、涙器」のことです。

眼球付属器は、「外部の危険」から眼球を保護してくれたり、眼球が円滑にその機能を発揮できるように、もくもくと陰で支えてくれています。
「まぶた」の重要な働き
「まぶた」は、外部から何かの危険がせまってきたときに、「まぶたを閉じる」という、無意識のうちにおこる簡単な動作によって、眼球自体を外部からシャットアウトし、”眼球を外敵から守る”という重要な役割があります。
とともに、「まぶた」は、”まばたき”という動作に不可欠の部分でもあります。当然ですが、”まばたき”は無意識のうちに行なわれるようになっています。
”まばたき”をするとき、まぶたをいったん閉じて、また開けますが、このとき、目の表面に「新しい涙の層」が張られます。そして、まぶたを閉じたときには、よぶんな古い涙が目の表面から一掃され、それは「涙点(るいてん)」という穴から排出されます。(涙器の項のイラスト参照)
目の表面にある涙が少なくなり、かわいてくると、目の表面にある”センサー”が、自動的に、それをすばやく感知。すると、まぶたに対して、”まばたき”をして、「新しい涙の層」を目の表面に張るように指令をだします。
まぶたがその指令を実行して、目の表面の乾燥がおさまれば、センサーはピタッと止まります。でも、また目の表面がしぜんと乾いてくれば、それをセンサーが感知して・・・の繰り返しのリズムになっています。
そのため、「ドライアイ」などで目の表面が乾きがちになると、どうしてもセンサーが反応する回数が多くなります。何度も目の表面をうるおす必要がでてくるため、必然的に”まばたき”の回数が多くなってしまうことに。
上下のまぶたの根元には、「マイボーム腺」があります。
ここは、涙のなかの油成分である「油層(ゆそう)」を分泌するところ。
油層には、涙のなかの水分(涙液層)が蒸発してしまわないように、まぶたを開けるタイミングで、うまく”ラッピング”し、涙の水分を内側に閉じ込める役割があります。

目が疲れたときは、意識的に「まぶた」を閉じることで、外界から入ってくる視覚情報が一時的に遮断され、目を休めることができます。同時に、疲れた脳も休まります。外部からの視覚情報をさえぎり、目に入ってくる光の量をおさえることで、目と脳を同時に休めることができるわけです。
脳を休めている睡眠中は、「まぶたを閉じている」ことから考えても、「目」と「脳」の密接な関係性は間違いのないことです。
「目を休めれば脳も休まる」・・・まさに”目と脳は一体の存在”といえます。
「使わない睡眠中は、ずっと閉じておく」・・・このような機能は、同じ”感覚器”でも、「耳」や「鼻」にはみられません。目にそなわる特有の機能です。もちろん味覚を感じる「口」も閉じておけますが、「乾燥しやすい湿った部分」は、しっかり閉じてフタをする機能がついているわけです。
「まぶた」は”雨戸”のように、外界と部屋の中を確実にへだてる、重要な存在といえるでしょう。
「まゆ毛」と「まつ毛」の重要な働き
「まゆ毛」には、額から流れてくる汗を受け止めて、目に入らないようにする大事な役割があります。
ちなみに「まゆ毛」の位置は、目の周囲にある骨の、ちょうど”ふち”にあたります。そして、まゆ毛には、攅竹、魚腰、糸竹空という「目の疲れをとるツボ」が、まゆ毛の両端と中央という「非常にわかりやすい位置」に並んでいます。

いっぽう「まつ毛」は、その根元にある神経が非常に過敏になっています。
そのため、何かがちょっと「まつ毛」に触れただけでも、するどく感知。そして、まるで「センサー」のような見事な働きをして、瞬間的に、まぶたに”まばたき”をするよう指令をだし、外部からの危険を回避するように促すのです。
このように「まつ毛」は、いっけん地味なようでありながら、「目に異物が入らないように警備する」という重要な1点だけに集中し、「眼球の門番」としての誇りも高く、陰で眼球の安全を、まさに「目をはなさず」しっかりと守ってくれているわけです。
「結膜」の重要な働き
結膜は、透明な組織でできた「角膜」をのぞいた”目の表面”全体をおおうことで、外敵から守ってくれている”粘膜”であり、保護膜です。
結膜が角膜の表面だけは、おおっていないのは、「角膜」の表面も”粘膜”でできているため。「結膜」という”粘膜”で、再度おおう必要がないわけです。(上の眼球のイラストを参照)
白目部分の「強膜」は、”外部の大きな衝撃”から目を守ってくれています。
それと同じように「結膜」も、外部から守ってくれているわけですが、「結膜」の場合は、”小さな異物や細菌から、目の安全と健康を守ってくれている”といえるでしょう。
結膜は、白目部分である強膜の上をおおっていますが、それだけではありません。上下にある”まぶたの裏側”までもおおって保護してくれています。つまり結膜には、「眼球」と「まぶた」をつなぐという大切な役割もあるのです。
もし、この「接合部分」がないと、眼球と上下のまぶたの”すき間”に、いろいろなゴミや細菌が入り込んでしまうことに。それを未然にふせいでくれているのが、「結膜」という重要な透明シートなわけです。
また、まばたきや眼球移動が、とどこおりなく、スムーズに行なえるのも、まさに「結膜」のおかげです。逆にいえば、もし「結膜」がなければ、まぶたのスムーズな開閉や眼球移動ができなくなってしまうことに。
”粘膜”である結膜からは、「ムチン層」という”粘液”が分泌されます。
(上の眼球のイラストを参照)
この粘液には、目の表面から、涙の主成分である「涙液層」が簡単に流れ落ちないように、しっかりと定着させる「土台」の役割があります。
もし、この「結膜」がなければ、とうぜん粘液である「ムチン層」も分泌されないため、目に涙がのらなくなります。その結果、目の表面がカラカラに干からびてしまい、正常に「ものを見る」どころではなくなってしまうことでしょう。
この「結膜」も、「まぶた」や「まつ毛」におとらず、もくもくと「己にあたえられた仕事」をこなしながら、眼球がその能力を十分に発揮できるように、陰ながら眼球の安全と健康を守ってくれているわけです。
「外眼筋」の重要な働き
外眼筋は、眼球の周囲に付着している筋肉のことです。
外眼筋があるおかけで、人は眼球をいろいろな方向へと、思いのままに、自在に動かすことができます。

外眼筋は、右6本、左6本、合計で12本の筋肉が協調して動きます。
このため左右の眼球は、無意識のうちに、しぜんと「同じ方向」をむくようになっています。しかし、「眼筋まひ」などが原因となって”斜視”になると、自分がのぞむ方向へと、目を自由に動かせなくなることに。
斜視は、外眼筋のバランスがくずれ、眼位(目の位置)がずれている状態。遠視が原因の斜視以外は、基本的に、「斜視の手術」を行ないます。
この「外眼筋」もまた、眼球の機能を円滑に発揮するために、陰ながら支えてくれている重要な部分であるといえるでしょう。たとえば、外眼筋の素早い動き(視点移動)がなければ、危険をいちはやく察知できませんし、スポーツで速い球を目で追うこともできなくなります。
また本を読むにも車を運転するにしても、そのほか日常生活のささいなことでさえ、「目を動かす」という、”いっけん、なんでもない動作”ができなくなるだけで、その生活は、かなり不便なものになってしまうことは、容易に想像がつくのではないでしょうか。
もし外眼筋がなければ、人は、「まっすぐ前」しか見れない・・・というよりも、それ以前に、眼球をしっかりと「固定」すらできなくなるのですから、外眼筋の存在がいかに貴重なものであるかがわかると思います。
通常、”目の遠近調節”は、水晶体の厚みを変化させることによって行なわれる、と考えられています。しかし、ベイツ博士が提唱した「ベイツ説」によれば、”「外眼筋」が眼球を変形させることによって、遠近調節を行なっている”としています。
「涙器」の重要な働き

涙器とは、涙の生産や排出にかかわる部分をいいます。
うわまぶたの裏側にある”涙腺”というところから、「涙」が分泌されます。
上のほうにある眼球のイラストを見てもわかるように、「涙」は、1層ではなく「3層構造」になっています。
そして、目の表面をうるおす役割ともに、ゴミを洗い流して目の表面をきれいに保ってくれています。涙には、細菌を退治する「酵素」もふくまれています。
さらに涙は、レンズの役割をはたしている「角膜」に、酸素と栄養を送りとどけるという重要な役割もあります。
角膜は、光の通行を邪魔しないために”透明な組織”である必要があり、そのため血管がとおっていません。そこで「涙」と、眼球内部を満たしている「房水」が、血液の代役となっているのです。
涙の10%は、目の表面から、しぜんに蒸発していきます。
しかし、蒸発しなかった残りの90%の涙は、目頭にある、上下ふたつの「涙点」という”穴”から、排出されていきます。
その後、「涙点」から排出された涙は、いったん「涙嚢(るいのう)」という”一時保管所”へ、ためられます。そこから、ゆっくりと「鼻涙管」の壁を伝っていき、鼻の穴の「下鼻道」へたどりつきます。そして、最終的には喉へと流れていきます。「下鼻道」にたどりついた涙は、「吸った息に湿気をあたえる」という、きちんとした役割ももっています。
人は、悲しいことがあって”大量の涙”を流すとき、涙が「洪水」のように押し寄せてくるため、涙の排出経路があふれかえってしまうことに。すると、処理の許容範囲を越えてしまうため、一時的に、「鼻の穴」からも涙が流れ出てくることになります。
◆ 以上みてきたように、「眼球付属器」の存在なくしては、眼球はその力をまったく発揮できず、「ものを見る」ということが不可能になってしまいます。
その意味では、それぞれの「眼球付属器」は、”縁の下の力持ち的な存在”ともいえますが、実際には、「下位の存在」という意味ではなく、眼球内にある「角膜」や「水晶体」などと”同等の立場”にあるともいえます。
なぜなら、それらの部位が1つとして欠けることなく、すべてが一体となって働いたときに、「目」はその力を100%発揮できるからです。どれか1つの機能が失われるだけでも、「ものを見る」ということに支障が出てくるからです。
そう考えれば、それぞれの部位を分離して考えるよりも、「眼球」「視神経」「眼球付属器」、さらには「脳」までもふくめた、これらすべてを「1つのかたまり」として見るべきなのかもしれません。
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